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第1回「赤本 現代マンガのルーツは、これだ」

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昭和30年頃まで、名前のように表紙が「赤っぽい」ぺらぺらなマンガ本が関西で売られていた。これが、「赤本(あかほん)」と呼ばれるマンガ本である。本屋には売っておらず、おもちゃ屋さんや露店で売っていた。東京では、貸本屋さんでしか見かけなかった。

縁日へ行くと、ゴザをしいたその上に、どぎつい色をした赤本が積んであるのを、ときおり見ることはできたけどね。裸電球に照らされ、ラクダのシャツを着たおっちゃんか、赤んぼ背負ったおばちゃんが、それを売っていた。

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この「赤本」、じつは江戸時代にもあったんだ。浮世絵をたくさん入れた子供向けの本だったけれど、大正時代あたりからマンガになり、戦争が終わった後は、おもちゃ屋さんや印刷屋さんが副業でこしらえたマンガ本の呼び名になった。子供が読む本などない戦後すぐの時代だったから、それでも子供が大よろこびし、ずいぶん売れたらしい。

当時、大人たちはまともな読み物とは認めてくれなかった。
しかし、こんな本がやがて現代日本の「クールジャパン」と評価されるような現在のストーリーマンガを生みだした。当時はそんなこと、だれも予想しなかった。ここから、あの手塚治虫先生がデビューして、世界は変わった。

昭和22年に出た手塚先生の『新寶島』が、大ベストセラーになったのだ。いまのマンガの楽しさ、おもしろさが、はじめてこの本でできあがった、と言ってもいいかもしれない。それまでのマンガとくらべると、とにかくとてもおもしろかった。

町の片すみで細々と作られ、売られた「赤本」から、世界に評価される日本のストーリーマンガは生まれた。だけど、いま「赤本」の実物はほとんど見かけないし、その存在じたいも忘れられている。ほんとうに「マンガの化石」だね。
今回は、その「化石」を掘り起こして、みなさんにご披露しましょう。

大マンガラクタ館 館長 荒俣 宏

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1.
レスラーでなく、お侍なのに「力動山の助」?

2.
わっ、「力動さん」って、力道山のこと?!

勝手に使って問題なかったの??このサイズは「ベビー版」で、とても小さい。

3.
これは「サザエさん」?!
そういえばカツオもワカメも一緒だぞ!作者も町子さんだし???

4.
おみやげとして売られた「赤本」
おもちゃ屋や駄菓子屋の店先にぶら下げて売られたのか。
小さいのはお菓子に合わせたから?このサイズは「ポケット版」と呼ばれたらしい。