昭和30年代、「貸本」あらわる
大マンガラクタ館へようこそ。
今回は、昭和30年代に貸本屋さんでレンタルして読んだ「貸本マンガ」をご覧に入れます。「赤本」の次に出てきた「貸本マンガ」は、いちおう本屋に置いてあったので、たしかに「本」といえますし、曲がりなりにも「ストーリーマンガ」でしたので、今みなさんが読むマンガの先輩ともいえます。
でも、本をどうして売らないの、と思う人もいるでしょう。それは、まだ貧乏だった日本でマンガ本を買えるような子がいなかったからです。本なら一冊100円しますが、レンタルだと一日10円。そこでレンタル本の中心がマンガや「おとな読み物」になったのです。
とはいえ、貸本は単行本ですから最低でも130ページになります。これを毎月描かねばいけないので、描き手が足りません。そこで、絵さえうまければ物語はひどくてもいいよ、と、中学生や高校生まで採用してくれたのです。アラマタ館長も中学生からマンガを描き始め、夏休みに出版社へ持ち込みました。採用はされませんでしたが。
夏は怪談マンガの大爆発だった
そんな昭和30年代の夏休み、娯楽といえば「お化け」です。映画も朝から怪談ものばかり。それで貸本マンガも夏は怪談がたくさん出ました。アラマタ館長も怪談マンガが好きになりました。
そんななつかしい貸本の「怪談マンガ」が、このミュージアムにたくさん保存されています。まず、「タイトル」がすごい!「生首(なまくび)妖怪城」、「悲炎血怒鯉淵(ひえんちどりぶち)」、「怪奇江戸吸血鬼」、「魔の蛸(たこ)地獄」、「ミイラ母の奇蹟(きせき)」って、ぜんぶB級映画のノリです。
ですが、読んでみると、題名のようなすごいお化けがでてくるわけではなく、お岩さんや化け猫のマネばかりでした。でも、まだ娯楽が少なかった年少読者はそれで満足でした。マンガ家さんも読者をたのしませるために、必死に努力しました。お化けの図鑑なんかなかった時代ですから、苦労したと思います。
お化け情報がない時代でしたが……
まあ、この表紙だけでもみてください。とにかく表紙のタイトルを頑張りすぎて、中身は息切れ気味です。お化けの絵もまるで新味がありません。というのも、この時代にはまだ、怪談やお化けの辞典や名作集がありませんでした。UFOも宇宙怪獣も資料不足でした。江戸時代にはやった古い怪談を借りてくるしかなかったといえます。
ですが、忘れていけないこと。この貸本「怪談マンガ」から、ズルズルと体を引きずるヘビ女の恐さを発明した楳図かずお先生や、ゲゲゲの鬼太郎で妖怪マンガを有名にした水木しげる先生のような大天才が、あらわれてきたのです。
大マンガラクタ館 館長 荒俣 宏
展示入れ替えオープニングイベントMOVIE
「アラマタ館長のお祓い儀式」