マンガ家インタビュー

5.ジャンルを飛び越える

[インタビュアー:「アンパンマン」は普通「絵本」と呼ばれると思うが、先生の中で「絵本」というジャンルと「マンガ」というジャンルはどうわけられているのか?」

「ぼくはストーリーマンガを描く人じゃないんで、どっちの方向に行こうかと思っていたらですね、絵本の仕事が来ちゃったんですよね。一番初めに「やさしいライオン」っていうのを描いたんですけど、そうするとその本が割と売れたんで、絵本の仕事が多くなってきた。
それでその中で「アンパンマン」を描いたわけです。ところが、「アンパンマン」自体は絵本なのに非常に売れ出して、それがまたアニメになったりして、またマンガ描かなくちゃいけなくなってね[笑]、そういう風になっていった。
ところが、ぼくは、基本的にデザイナーなんでね。要するに、割合にデザイン的にできてるんです、絵が。だから、着ぐるみ作ったりぬいぐるみ作ったりするのは非常にやりやすいってね。そっちの方が非常に作りやすくできてる。
だからね、今はね、マンガ家なのか、絵本作家なのか、アニメの原作者、よくわからない中間のところに……」

[インタビュアー:かつてマンガ家の前川かずおさんたちとグループを作られていた。]

「「[漫画家の]絵本の会」か。絵本の会は、手塚治虫とか前川かずおとかね、それから馬場のぼるとやったんだけど、みんな死んじゃってですね。もう手塚君が死に、おおば比呂司が死に、長新太が死に、永島慎二が死に、みんな死んじゃったんです。だから絵本の会は自然解散みたいになって……
で、一番年長のぼくは生き残ってるんです。ぼくはあの中で一番年長なんだ。幸か不幸か生き残って。まぁ生き残ってよかったって生きてます[笑]。」

[インタビュアー:前川かずおが挿絵を描いた児童文学シリーズ「ズッコケ三人組」(那須正幹)が図書館に入ったとき、マンガが図書館に、という論争が起こったが、「アンパンマン」はどうだった?]

「「アンパンマン」はですね、出たときに、こんな本は図書館に置くなって言った人がいたんだけど、なんと貸し出し量がトップなんですよ。[略]地方でもどこへ行ってもうちの貸し出しトップは「アンパンマン」ですって言われるだよね。うちじゃいくら入れといても足りなくなっちゃうってんで、ぼく、寄付したことあります。うーん、だから、子どもたちがなんかね、そういう具合に、まぁ好きっていう現象がおきてきたんですね。本人にはそういう点はよくわからなかった。」

[インタビュアー:どこの図書館にも「アンパンマンコーナー」があるが、いつ行っても貸し出し中で本が全然ない。]

「うん、いつもね、ないんですよ、貸し出し中で。[出版点]数はものすごいたくさんあるんですけどね、[図書館の棚には]ない。」

[インタビュアー:アンパンマンの仕事をされるようになって、それまで描かれていた「大人マンガ」から「子どもマンガ」の世界に足を踏み入れた。]

「そうなんだよ。偶然に絵本の仕事をするようになって、その絵本の出版社がですね、たまたま幼児絵本の方が主という出版社だったんで、まぁ幼稚園保育園とかね。だからぼくもいつの間にやらね、幼児相手になっちゃって。
[略。でも、]いまだに幼児はよくわかりません。わかるかい?ことばもしゃべらないし[笑]。何を考えてるのか、さっぱりわからない。」


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