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第12回 すきっ腹もマンガをよんで満腹、元気も勇気も出た!

こんにちわ、ものすご~く古くからマンガを読んでるアラマタ館長です。

今回の「大マンガラクタ館」は、さがしだしましたよ、珍品を!

日本がまだ焼け野原だった昭和20年代の子どもマンガです。いえ、マンガといってもクールジャパンとかいわれる今どきのアニメ風じゃなく、活字本の挿絵に近い「絵」が主役で、一枚の絵が長い文章を要約した「絵物語(えものがたり)」というシロモノ!当時の子どもたちはこの絵物語に夢中になっていました。

なぜかというと、そのころ子どもは毎日、「街頭紙芝居(がいとうかみしばい)」という、じつにアナログだけど「街頭テレビ」的なメディアを楽しんでいたからです。そこで戦後に復活した子ども雑誌は、よ~し、紙芝居を手本にして巻き返すぞ!と思いついて、当時の子どもがあこがれていた紙芝居ヒーローを本に載せたんです。中でも人気は、「黄金バット」、つまり日本版の「バットマン」だった。これを載せた雑誌の名が「冒険活劇文庫(ぼうけんかつげきぶんこ)」! もう、本だか雑誌だか、よくわかりません。のちに「少年画報(しょうねんがほう)」と改題されますが、なぜ「画報」にしたのか、理由はわかりますよね。だって、絵を担当したのが紙芝居画家だったんですから。紙芝居の絵は小説の挿絵に近い一枚絵で、裏にセリフが書いてある。ならば当然、劇画チックです。ゲゲゲの水木しげる先生も紙芝居の画家でしたよ。

もちろん、フキダシとコマ割りのあるマンガも人気がありました。雑誌だけでなく赤本マンガという安い本として、たくさんのマンガが作られています。特に手塚治虫さんはカリスマ的な人気で、みんながお手本として手塚マンガをまねしたことも、この展示でよくわかります。赤本マンガは、本当にたくさん作られたので、あまり絵を描いたことがない人が作ったんじゃないか?と思われせるものまであります。

初めは絵と文で作られていた絵物語でしたが、そのうちに文がなくなって、フキダシとコマ割りが使われるようになり、ぜんぶ絵で見せるマンガが主力になります。

そんな時代の子ども雑誌には別の特色もありました。話も絵もタイトルも、みんな元気がよくて大げさで、ワクワクするものばかり。とくに「冒険」ということばが大好きでした。「冒険活劇文庫」につづいて、「冒険ロマン」だとか「冒険王」とか、池田大作さんが編集長をつとめた「冒険少年」も!

では、ご覧ください。この古めかしくて、あけっぴろげの昭和マンガを。食べるものもあまりなかった約80年前の子ども雑誌は、ぼくたちに夢と希望を与えてくれたんです。すきっ腹がいっぱいになるくらいに!

京都国際マンガミュージアム/「大マンガラクタ館」館長 荒俣宏

おじいちゃんたちが熱中した「マンガ的なもの」-絵物語

今のマンガの主役であるストーリーマンガは、アメリカでの流行があって、日本でも早々と、90年近く前から読まれていた。マンガどころか、アニメにもなっていたよ。
でも、昭和10年代に子供が熱中した「マンガ」は、よく調べると三種類のかたちがあった。まず、ミッキー・マウスみたいな人気キャラクターが出てブームになったアメリカ式のコママンガ(コミックストリップス)。日本でも「のらくろ」みたいな大人気主人公が有名になった。いわば印刷した「映画」だ。
それから二番目が、「絵物語」という形式。こちらは文章が長々とあって、絵はコママンガだけど少ない(小説の挿絵よりは多かった)。こっちは映画でなくて「写真」だね。紙芝居にも似ている。このスタイルでは「冒険ダン吉」という大ヒットが出たよ。ただし、これとは別の流れがあって、文章が主役で挿絵が脇役だった小説本が、挿絵を主役にした「絵物語」 に発展した。絵はマンガでなく、映画みたいにリアルなタッチだった。
もちろん、おじいちゃんが子供のころはどれも同じ気持ちで楽しんだ。三倍は楽しめた。なかでも、ワクワクしたのは、外国映画みたいに細部を描きこんだ絵物語だった。お気に入りは「少年ケニヤ」。アフリカのジャングルに置き去りにされた日本少年の冒険だ。マンガ調の絵よりも高級とされ、映画にまけない迫力があった。
だからね、昭和30年代までの少年マンガ雑誌は、三つの形式が一緒に読めた。
手塚治虫先生ほかのコママンガ形式が独り勝ちするまではね。
そこで、今見てほしい。昔なつかしい絵物語を、心ゆくまで。
しかも、文章部分は名の知れた有名作家が書いていた!

アラマタ館長

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井上一雄「かえってきたボール」
『子供マンガクラブ』(有楽出版、1949)

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横井福次郎「ふしぎな國のプッチャー」
『少年クラブ』(大日本雄弁会講談社、1948)

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永松健夫「黄金バット アラブの宝冠」
『冒険活劇文庫』(明々社、1949)

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