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第13回 自分で作った“マンガ本”におどろくよ!

こんにちは、アラマタ館長です。京都の夏はアツくて、クルしい!
しかし、今回の「大マンガラクタ館」展示は、もっとすごい。館長のわたしなんか、もうすでに熱いなみだが出てきてしまい、こまっているよ。

昭和40年代ごろまで、マンガ本は世の中に多くなかったし、それを買える家もほんとに少なかった。でも、子どもたちは新聞とか雑誌のところどころに載ってるマンガを読んで、その面白さを体験して夢中になった。現在のYoutubeのような新しくて楽しい世界だったんだ。それで、少数いた「マンガを持ってる子」から本を借りて、クラスで回し読みをしたりした。あるいは、貸本屋で借りる子もいた。でも、そのころはコピー機もなかったから、それを自分のものにしたいときは、自力で書きうつすか、あるいは新聞や雑誌から切り抜くしかなかった。それだけ熱心だったのは、たいていマンガ家になりたかった子だから、資料として手元に置きたかったんだ。こうして自作した切り抜き帖を、「スクラップ・ブック」と呼んで、だれでも一冊はこしらえたものだ。

スクラップ・ブックは、100年以上前からあって、まさしく、自分が好きなものを集めようという情熱のアツさと、それを自分で地道に編集し本にするクルしさとが生んだ、「結晶(けっしょう)」だった。館長もマンガ家にはなれなかったけれど、たいせつな宝物として残してあるよ。

このミュージアムにも、そのような「スクラップ・ブック」がたくさん保存されている。いま眺めると、とてもおもしろい歴史資料だ。いろんな時代の香りがするから、みんなに見てもらうことにした。ぜひ、おどろいてくださいね。

京都国際マンガミュージアム/「大マンガラクタ館」館長 荒俣宏

スクラップ・ブックに残されたマンガたち集合!

いま、「クール・ジャパン」のシンボルになっている日本マンガは、本の形で読まれています。たくさんのコマに割られた画がどこまでも続くストーリーを、ぺらぺらとページをめくって読むスタイルです。ところが昭和の半ばまでは、マンガといってもストーリー物だけでなく、とてもたくさんの形式がありました。ひとコマだけや四コマで終わる形も多くて、それが大判の新聞紙の片隅に載ったり、雑誌に数ページだけに置かれるスタイルでしたから、保存がしにくく、多くはゴミ屑となって捨てられました。しかも新聞や雑誌は紙質も悪いので、長い期間の保存もできなかったのです。
そこで工夫されたのが、保存のD.I.Y(ドゥー・イット・ユアセルフ)ともいえる「スクラップ」です。マンガのところだけ切り抜いて、それをスクラップブックに貼りつけて保存しました。小学生でも、たくさん切り張りすれば、自分だけのマンガ本をつくれたんだ。
日本ではストーリーマンガが誕生する以前に、浮世絵やポンチ絵といったカラー印刷や版画の一枚絵が流行し、愛読者は見終わるとふすまや屏風の破れ目の上に貼りつけて、補修の役目をさせたりもしていました。印刷物を大切にする習慣ができていたからこそ、粗末な紙の印刷ビラでも残ることができたのです。これがなければ、戦前のマンガがどうなっていたのか、その全貌を調べる手がかりがこの世から消えていたことでしょう。まさに、「マンガラクタ」の宝といえます。
新聞や雑誌のマンガは、明治の中頃ごろまで、おもに政治や社会の諷刺として描かれましたので、子どもには難しかったと思われます。けれども、明治末期ごろから政治だけでなく庶民の暮らしぶりもマンガのテーマに描かれるようになり、昭和に入ると「のらくろ」や「フクちゃん」や、「サザエさん」といったキャラクターを生みだし人気を博しました。これ以外にもたくさんの作品が描かれて、マンガが子どもの物になる時代を切り開いたんだよ。
さあ、手作り感あふれるスクラップ・ブックに遺(のこ)された、忘れられたマンガたちを見直そう。

アラマタ館長

展示風景

切り抜きマンガを貼りためた
スクラップ・ブック

展示風景

マンガ家が作った本物のスクラップ。
諷刺画を描く時などに活用したらしい

展示風景

新聞4コママンガを
1年分切り抜いた束

展示風景1
展示風景2