いまのマンガは、ぺらぺらした週刊誌や、小さいソフトカバーの単行本が多くて、書斎(しょさい)なんかに置くのは似あわない。ポテチをばりばりほおばりながら読むのに似あうね。それに、子供が読んで分からないような、むずかしい内容のマンガも、見かけないね。
けれど、それはみんな大正時代以後のこと。明治時代にはマンガは豪華な高級印刷物で、値段も高いし、だいいちインテリの大人でないとおもしろさがよく分からないような、難しい「読みもの」だったんだ。今回は、そういう大人のマンガ雑誌を紹介するよ。
マンガミュージアムは、実はこういう雑誌をたくさん持っていますが、その本物を並べてみました。まず、本のサイズが大きい! 色刷(いろず)りがきれいで、女の人の衣装や表情もみごとだ。紙もあつくて高級だ。ただし、今みんなが見て、絵はおもしろいけど何の話を描いてるんだ?と首をかしげるはず。じつは、そこに秘密がある!明治時代には、今のようなストーリーマンガや劇画がなかった。マンガの役割は、好き勝手をやる政治家だとか、いばりくさって庶民をくるしめるお役人たちを懲(こ)らしめたり、からかったりすることだった。大人が読んで気分がスカッとしたんだ。これを「風刺(ふうし)」というよ。でも、「おもしろい絵であらわした悪口」みたいなものだから、政治家やお役人にみつかれば発売禁止になったりした。そこで描くほうも、誰の悪口を書いているのかバレないように、頓智(とんち)をきかせた「たとえ話」に仕立てた。たとえば悪い政治家を猛獣やバケモノにして描くとかね。その「たとえ」がぴたりと当たれば、人気がでた。でも、人気が出れば出るほど、弾圧(だんあつ)が厳しくなる。最後は本も出せなくなるので、子供向けのマンガや、ほのぼのした家族マンガ、ストーリーを見せるマンガや美女を描いた風俗マンガなどに切りかわっていった。つまり、「風刺(ふうし)」から毒を抜いて「風俗」に切り替えたんだ。よい子は、そこのところに注目して見てくださいね。
京都国際マンガミュージアム 兼
大マンガラクタ館 館長荒俣 宏