明治から昭和のはじめまで、「趣味」と言えば、その家元は三田・平凡寺(みた・へいぼんじ)だ、と言われるほどの達人がいました。当時は、現在と少し違って、人があまり関心を持たないものやゴミと思われているものに面白味を見つけだすことが流行っていました。何を選ぶかでその人の個性やセンスがわかるような見方こそが、趣味人の証だと言って、お弁当の包み紙、マッチのラベル、名刺やラブレター、道に落ちていた石までもが、趣味と収集のテーマになったのです。
平凡寺という人は、そうした「趣味」の仕掛人、“御本家”でした。この人自身は髑髏(どくろ)の収集で有名でしたが、それにとどまらず、「うん〇」にまで興味を持ち、大形のものを型に取って金(きん)で模型をつくったりもしました。戯画(いまのマンガ)も描けば川柳も詠み、海外から入ったばかりのローラースケートに飛びつき、二階をリンクに改造してガーガーすべったと言います。そうかと思えば、絵や文章を一流の師匠に学び、大の読書好きで洋書も独学で読破したらしく、国の内外から教えを受けにやってくる学者もたくさんいました。
平凡寺は大正時代に、「我楽他宗(がらくたしゅう)」という趣味人クラブをつくり、ガラクタ集めの輪を広げました。昭和・平成の「オタク」と同じ、社会現象にもなりました。もしかしたら令和の文化はいまだ「へいぼんじ」の輪の一部なのかもしれないのですが、平凡寺自身の興味の範囲は広すぎて、実は全貌がわかっていません。 そこでマンガミュージアムは、平凡寺の世界を探検することにしました。なにしろ、宝が出るか、ヘビが出るか、あるいはちょっとエッチなものが出るか……まったくわかりません。でも、「大マンガラクタ館」にはたいへんふさわしい出し物だと思いませんか?最初は、わかりやすいオバケの絵やおしゃれな絵葉書を中心にご覧に入れます。どうぞ、この「奇人」の“再発見”にお立会いください。
大マンガクラタ館 館長 荒俣宏