内容
京都国際マンガミュージアムでは、「世の中に忘れられたマンガの先祖たちを掘りおこし、現代マンガのルーツをさぐる」ということを目的に、荒俣館長が企画し、プロデュースする 小展示シリーズ「大マンガラクタ館」を展開しています。「マンガラクタ」というのは、マンガを含め、「だれかに発見されないかぎり、ずっとゴミくず同然に埋もれてしまう」ガラクタこそを面白がる、という価値観を示した、館長による造語です。
荒俣宏館長による展示のあいさつ文より
こんにちわ、ものすご~く古くからマンガを読んでるアラマタ館長です。
今回の「大マンガラクタ館」は、さがしだしましたよ、珍品を!
日本がまだ焼け野原だった昭和20年代の子どもマンガです。いえ、マンガといってもクールジャパンとかいわれる今どきのアニメ風じゃなく、活字本の挿絵に近い「絵」が主役で、一枚の絵が長い文章を要約した「絵物語(えものがたり)」というシロモノ!当時の子どもたちはこの絵物語に夢中になっていました。
なぜかというと、そのころ子どもは毎日、「街頭紙芝居(がいとうかみしばい)」という、じつにアナログだけど「街頭テレビ」的なメディアを楽しんでいたからです。そこで戦後に復活した子ども雑誌は、よ~し、紙芝居を手本にして巻き返すぞ!と思いついて、当時の子どもがあこがれていた紙芝居ヒーローを本に載せたんです。中でも人気は、「黄金バット」、つまり日本版の「バットマン」だった。これを載せた雑誌の名が「冒険活劇文庫(ぼうけんかつげきぶんこ)」! もう、本だか雑誌だか、よくわかりません。のちに「少年画報(しょうねんがほう)」と改題されますが、なぜ「画報」にしたのか、理由はわかりますよね。だって、絵を担当したのが紙芝居画家だったんですから。紙芝居の絵は小説の挿絵に近い一枚絵で、裏にセリフが書いてある。ならば当然、劇画チックです。ゲゲゲの水木しげる先生も紙芝居の画家でしたよ。
もちろん、フキダシとコマ割りのあるマンガも人気がありました。雑誌だけでなく赤本マンガという安い本として、たくさんのマンガが作られています。特に手塚治虫さんはカリスマ的な人気で、みんながお手本として手塚マンガをまねしたことも、この展示でよくわかります。赤本マンガは、本当にたくさん作られたので、あまり絵を描いたことがない人が作ったんじゃないか?と思われせるものまであります。
初めは絵と文で作られていた絵物語でしたが、そのうちに文がなくなって、フキダシとコマ割りが使われるようになり、ぜんぶ絵で見せるマンガが主力になります。
そんな時代の子ども雑誌には別の特色もありました。話も絵もタイトルも、みんな元気がよくて大げさで、ワクワクするものばかり。とくに「冒険」ということばが大好きでした。「冒険活劇文庫」につづいて、「冒険ロマン」だとか「冒険王」とか、池田大作さんが編集長をつとめた「冒険少年」も!
では、ご覧ください。この古めかしくて、あけっぴろげの昭和マンガを。食べるものもあまりなかった約80年前の子ども雑誌は、ぼくたちに夢と希望を与えてくれたんです。すきっ腹がいっぱいになるくらいに!
京都国際マンガミュージアム/大マンガラクタ館 館長 荒俣宏
主催 京都国際マンガミュージアム、京都精華大学国際マンガ研究センター
※スケジュール・内容については変更の可能性があります。予めご了承ください。