《紙芝居》1月 実演者スケジュール
。・:*:・゚★,。・:*:・゚☆紙芝居・1月口演・:*:・゚★,。・:*:・゚☆
6 日(月) だんまる
7 日(火) はるる
9 日 (木) らっきょむ
10 日 (金)だんまる
11 日(土)だんまる はるる
12 日(日) はるる
13 日(月) らっきょむ
14 日(火)はるる だんまる
16 日(木) らっきょむ
17 日(金) らっきょむ
18 日(土) はるる
19 日(日) らっきょむ
20 日(月) らっきょむ
21 日(火) はるる
23 日(木) だんまる
24 日(金) だんまる
25 日(土) はるる
26 日(日) だんまる
27 日(月) らっきょむ
28 日(火) はるる
30 日(木) らっきょむ
31 日(金)だんまる
7 日(火) はるる
9 日 (木) らっきょむ
10 日 (金)だんまる
11 日(土)
12 日(日) はるる
13 日(月) らっきょむ
14 日(火)
16 日(木) らっきょむ
17 日(金) らっきょむ
18 日(土) はるる
19 日(日) らっきょむ
20 日(月) らっきょむ
21 日(火) はるる
23 日(木) だんまる
24 日(金) だんまる
25 日(土) はるる
26 日(日) だんまる
27 日(月) らっきょむ
28 日(火) はるる
30 日(木) らっきょむ
31 日(金)だんまる
年が暮れて日付けが変わると、まっさらなカレンダーから一年が始まるように、世界がくるりと真新しくなる!
⋯とんでもない。
それは初日の出が昇ろうと一緒。
急にピカピカした新品の世界が立ち現れるのでもなく、ずーっと地続きの日々の一つ。
それでも人の心持ち次第でこんなにも気持ちを新たに迎えられるんだな、と思わせてくれるのがこの正月という仕組み。
師匠ヤッサンは日記をずーっと書いていました。
「書いてその日にケジメつけて毎日死んで毎日生まれ変わる、俺が書いてるのは日記や日誌というより『日死』だ!」
師匠はそう言ってたけど、今にして思えば年の暮れと始まりの心持ちを年間単位でなく毎日実践しようとしてたのかもしれない。
年の暮れが近づくと今でも思い出すのが、15年ほど前師匠ヤッサンが年末大阪の商店街で企画したイベント。
大晦日紙芝居のカウントダウンで年を越そうという催し。
イベントは「やるぞ!」と言ったからといって人がすぐに集まるもんでもない。
師匠はもちろん僕もだんまるも入ったばかりの弟弟子も一緒に寒空の下、お客さんを必死に集めながら大声を上げていました。
師匠ヤッサンは思い立ったら取り敢えず形にしてみる人。
お金の計算は後回し、いや「円」もっとおっきい楽しい「縁」がきっとそのうち互いを活かすとばかりにまず実現に奔走する。
柔らかい感性にブレない軸、そしてそれらを推し進める馬力が師匠ヤッサンという人だった。
だからその年の暮れ、商店街を足早に行こうとする人々の足が止まるのかっていうのをぶっつけ本番でやってみる。やりながらどんどん現場で工夫する。
師走に文字通り師匠が走ってる。
いくつになってもチャレンジャーで、「はいどーぞ、お客さんが拍手して待っててくれますよ」なんて舞台だけじゃ飽きたらず、アウェイに飛び込んでそこをホームにして来るぶっとい自分を持ってるのがヤッサン。
その大晦日イベントは僕ら弟子からしたら、人を立ち止まらせるというのはこんなにも大変な事なんだと身に染みるとても厳しい現場だったけど、おかげで「紙芝居屋は芸人でもタレントでもないぞ!」ってのを仕込まれました。
初日の出が昇らないなら俺が山の向こうから引っ張り出してやる!!
そんな姿勢を師匠は全身で見せてくれました。
大晦日イベントも終わり、クタクタの僕は終電も始発もない一晩中動く年越しの電車に揺られながら、一日の終わりも一年の始まりも境い目の分からないまま、遠方の実家へ帰る手立てを失った弟弟子を連れて僕の実家に帰省したのを覚えています。
師匠に育てられた時、一番伝えられたのは紙芝居のテクニックではありません。
この世を生き抜く為の人としての有り様です。
むしろテクニックなんか後から付いてくる!という感じです。
おかげで最後に師匠に紙芝居を見てもらって頂いた言葉が
「お前へたくそなまんまじゃねーか!!」
きっと師匠のせいです。
その言葉が今でも僕の心に残ってるし、それが僕を奮い立たせてくれる。
師匠が空のステージに去った後も、弟子は紙芝居を続けています。
このマンガミュージアムで腕を磨き続けています。
平日には圧倒的にお客さんの外国人比率が高まるここは、
紙芝居屋にとって「ホームなのにアウェー」という稀有な場所です。
そしてネタを知り尽くした常連さんも来ます。
ありがたい。
だからこそ鍛えられる。
東京からここに勉強にくる一座メンバーもいれば、昨年入った新弟子もいずれここで一輪の花咲かす春を目指して稽古しております。
ヤッサンを知らない弟子にいかにスピリットを伝えていくか、兄弟子であるだんまると僕の大きな挑戦です。
まだまだヤッサン一座は続く。
紙芝居の物語は終わらない。
新しい年もどうぞよろしくお願いします。
紙芝居のはじまりはじまり〜!!
⋯とんでもない。
それは初日の出が昇ろうと一緒。
急にピカピカした新品の世界が立ち現れるのでもなく、ずーっと地続きの日々の一つ。
それでも人の心持ち次第でこんなにも気持ちを新たに迎えられるんだな、と思わせてくれるのがこの正月という仕組み。
師匠ヤッサンは日記をずーっと書いていました。
「書いてその日にケジメつけて毎日死んで毎日生まれ変わる、俺が書いてるのは日記や日誌というより『日死』だ!」
師匠はそう言ってたけど、今にして思えば年の暮れと始まりの心持ちを年間単位でなく毎日実践しようとしてたのかもしれない。
年の暮れが近づくと今でも思い出すのが、15年ほど前師匠ヤッサンが年末大阪の商店街で企画したイベント。
大晦日紙芝居のカウントダウンで年を越そうという催し。
イベントは「やるぞ!」と言ったからといって人がすぐに集まるもんでもない。
師匠はもちろん僕もだんまるも入ったばかりの弟弟子も一緒に寒空の下、お客さんを必死に集めながら大声を上げていました。
師匠ヤッサンは思い立ったら取り敢えず形にしてみる人。
お金の計算は後回し、いや「円」もっとおっきい楽しい「縁」がきっとそのうち互いを活かすとばかりにまず実現に奔走する。
柔らかい感性にブレない軸、そしてそれらを推し進める馬力が師匠ヤッサンという人だった。
だからその年の暮れ、商店街を足早に行こうとする人々の足が止まるのかっていうのをぶっつけ本番でやってみる。やりながらどんどん現場で工夫する。
師走に文字通り師匠が走ってる。
いくつになってもチャレンジャーで、「はいどーぞ、お客さんが拍手して待っててくれますよ」なんて舞台だけじゃ飽きたらず、アウェイに飛び込んでそこをホームにして来るぶっとい自分を持ってるのがヤッサン。
その大晦日イベントは僕ら弟子からしたら、人を立ち止まらせるというのはこんなにも大変な事なんだと身に染みるとても厳しい現場だったけど、おかげで「紙芝居屋は芸人でもタレントでもないぞ!」ってのを仕込まれました。
初日の出が昇らないなら俺が山の向こうから引っ張り出してやる!!
そんな姿勢を師匠は全身で見せてくれました。
大晦日イベントも終わり、クタクタの僕は終電も始発もない一晩中動く年越しの電車に揺られながら、一日の終わりも一年の始まりも境い目の分からないまま、遠方の実家へ帰る手立てを失った弟弟子を連れて僕の実家に帰省したのを覚えています。
師匠に育てられた時、一番伝えられたのは紙芝居のテクニックではありません。
この世を生き抜く為の人としての有り様です。
むしろテクニックなんか後から付いてくる!という感じです。
おかげで最後に師匠に紙芝居を見てもらって頂いた言葉が
「お前へたくそなまんまじゃねーか!!」
きっと師匠のせいです。
その言葉が今でも僕の心に残ってるし、それが僕を奮い立たせてくれる。
師匠が空のステージに去った後も、弟子は紙芝居を続けています。
このマンガミュージアムで腕を磨き続けています。
平日には圧倒的にお客さんの外国人比率が高まるここは、
紙芝居屋にとって「ホームなのにアウェー」という稀有な場所です。
そしてネタを知り尽くした常連さんも来ます。
ありがたい。
だからこそ鍛えられる。
東京からここに勉強にくる一座メンバーもいれば、昨年入った新弟子もいずれここで一輪の花咲かす春を目指して稽古しております。
ヤッサンを知らない弟子にいかにスピリットを伝えていくか、兄弟子であるだんまると僕の大きな挑戦です。
まだまだヤッサン一座は続く。
紙芝居の物語は終わらない。
新しい年もどうぞよろしくお願いします。
紙芝居のはじまりはじまり〜!!
=らっきょむ=