村上知彦さん、ありがとうございました
マンガに限らず、広く70 年代以降の関西サブカルチャーシーンで活躍してきた村上さんが、2024年12月22日、73歳で永眠されました。
京都国際マンガミュージアムは、開館以来、貴重なマンガ資料を数多く収集・保管してきましたが、村上さんの多様な活動に関わる“雑多”な同時代資料の数々が、マンガミュージアムに寄贈されていることは、あまり知られていません。
段ボール箱200コを越えるこの「村上知彦コレクション」には、70年代のブームの中で作られたミニコミ誌の数々や、映画の自主製作・自主上映運動の盛り上がりを伝えるチラシやパンフレット、そして新感覚の創作マンガやマンガ評論の発表の場となった同人誌などが含まれます。これらは、同時代の熱気を伝える貴重な資料群であり、マンガミュージアムのコア・コレクションです。
現在開催中の企画展「のこす!いかす!!マンガ・アニメ・ゲーム展」にも、このコレクションから、村上さんが編集長を務めたマンガ雑誌『漫金超』が創刊されるまでの舞台裏を生々しく伝える、手書きの編集ノートが出展されています。
展覧会に足をお運びいただき、マンガ史/マンガ評論史に決定的な楔を打ち込んだ村上さんの業績を偲んでいただけたらと思います。
村上さんにはまた、2006年のオープン以前から、マンガミュージアムに深く関わっていただきました。
とりわけ、ご自身もその創設に関わられた「日本マンガ学会」発足後は、マンガミュージアム内に事務局もあった同学会の理事や学会誌編集長として、研究イベントや展覧会に直接的・間接的アドバイスをいただくなど、長年にわたって、研究機関としてのマンガミュージアムを支えてくださいました。
村上さん、おつかれさまでした。そして、ありがとうございます。どうかゆっくりお休みください。
京都国際マンガミュージアム
村上知彦(むらかみ・ともひこ)
1951年、兵庫県芦屋市生まれ。関西学院大学社会学部卒。大学在学中の1970年にガリ版刷りのミニコミ『週刊月光仮面』を発行。同誌は当時のミニコミブームを報じるマスメディア上でも度々とりあげられた。 73 年、高校時代からの友人の大森一樹らと神戸の自主上映グループ・無国籍に参加。大学卒業後、スポニチ大阪本社に勤めながら、74年に16ミリ映画『暗くなるまで待てない!』を大森監督らと自主製作。自主映画ブームを代表する作品として注目される。
またミニコミ・同人誌などに映画・マンガ評論を執筆し、79 年の評論集『黄昏通信 同時代まんがのために』(ブロンズ社刊)は、マンガ世代によるマンガ批評のさきがけとなる。
79 年スポニチを退職、80年にいしいひさいちらと(株)チャンネルゼロを設立し、雑誌『漫金超』を創刊。81~84 年には情報誌『プレイガイドジャーナル』に出向し編集長を務める。
以後、評論活動のほかマンガ単行本・エッセイ集の編集にも携わり、手塚治虫文化賞選考委員、文化庁メディア芸術祭審査委員、日本マンガ学会理事などを歴任。2015 年 3月まで、神戸松蔭女子学院大学文学部総合文芸学科教授を務めた。
「村上知彦コレクション」を紹介する、マンガミュージアムで開催された展示より
※現在開催されていません