常設コーナー
昔ながらだけど新しい、ヤッサン一座の
えむえむ紙芝居
開催日時
※口演時間 約30分
※各口演の合間に新人紙芝居師によるお試し口演を実施する場合があります
※変更や休止の場合もありますので直前にご確認願います
開催場所
2階 紙芝居小屋(ギャラリー5)
口演内容
・黄金バット
・4コマ紙芝居
・言葉の無い紙芝居
・えむえむオリジナル紙芝居 他
紙芝居師プロフィール
だんまる
年少の頃より、師匠であるヤッサンの紙芝居を見て育つ。自由な心で絵を描き、夢を語る紙芝居師。夢は、山の中にログハウスやツリーハウスを作り、子どもと、子ども心残した大人達の、「夢の国」建設。それを求めて、選んだのがこの道、紙芝居。 さぁ、だんまるの紙芝居のはじまり、はじまりぃ~!
らっきょむ
2004年、芝居活動をするなかで三重県に農業研修に入る。田んぼ、畑に向かうなかで見えてくる、形の無い「いのちのかたち」。 その思いを言葉の力で伝えたい、と考えた末、紙芝居に至る。2005年、師匠ヤッサンに出会い、弟子入り。2006年正月にデビュー。以後、姉弟子ちゃか丸と共に、兵庫県川西市・和歌山市の教育委員会からの委託口演などを担当。2007年5月より、当館にて定期口演をする傍ら、大阪府能勢町ほかで農作業にも従事し、農の紙芝居道を目指す。
はるる
メガネの奥でニヒヒと笑うヤッサン一座のタクラミ屋、誰より夢見る「シニアの星」。 縁あってヤッサン一座の紙芝居を率いたヤッサンに弟子入り。 春来る“はるる”の名前をもらい、「自分も楽しく、人にも喜んでもらえる紙芝居」との出会いも嬉しく、この道をまっしぐら。 ”幸せは笑顔にやってくる“と、拍子木鳴らして今日も行く。 絵本に「おたすけじぞう」(第13回えほん大賞・ストーリー部門受賞)がある。
マンガの源流を訪ねて
マンガは、子どもに受け入れられやすい表現メディアまたはコミュニケーション手段として、教育学や児童文化などの隣接分野からも注目されてきました。とりわけ興味深いのが、昭和の前半期に日本の広い地域で親しまれた大衆文化・紙芝居との関係です。
全盛期の昭和25年頃には、東京で約3千人・全国で約5万人の紙芝居業者がいたといわれますが、その中には、水木しげる、白土三平、小島剛夕など、次代の貸本劇画を担う人物たちも絵師として参入していました。その意味では、昭和30年代のテレビ普及に従って衰退したとされる紙芝居は、その作品名やキャラクターまたは表現の一部において、マンガという異なる表現・メディアに姿形を変えて生き続けたと考えることもできます。
街頭紙芝居と教育紙芝居という2種類の形態を有す紙芝居は、後者が戦中の教育に活用された実例を持つなど、過去に子どもたちの教化手段としての役割を担ってきました。
街頭も含め、紙芝居の持つ子どもたちに与える影響力は実に大きく、その表現・メディアとしての教育的効果についての考察もなされています。教材としてのマンガの在り方を問うためにも、この紙芝居=「送り手と受け手が同じ時間と場所を共有して作り上げる紙の物語」との比較検討は重要な課題といえます。