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《アラマタ館長連載ぶろぐ》「マンガ好き子どもたちの「宝物」、別冊付録よみがえる!」[第4回大マンガラクタ館通信]

太平洋戦争に負けて、焼け野原になった日本。館長のアラマタはじめ、みなさんのおじいさん、おばあさんが小学生として暮らしたのが、戦後の貧しくて何もない日本でした。でも、その中で今クール・ジャパンのシンボルとなった「戦後マンガ」が生まれたのです。
そのころのマンガは、ほんとうに子どもの宝でした。じつは病気に罹ったりすると、お父さんやお母さんが無理をして、子どもが喜ぶ「宝物」を買ってくれたのです。だから、病気に勝てた。その宝物とは、黄色くて甘い熱帯フルーツのバナナと、月刊のマンガ本です。
しかも、この月刊マンガ本は現在の週刊マンガ誌とちがい、二回りほど小型の別冊付録というマンガ本が、多いときは8冊ほども挟んであったのです。小さいけれども、表紙はカラーです。その本誌で人気の高いマンガ、たとえば「鉄腕アトム」だとか「イガグリくん」といった作品が、一冊ずつに分かれていて、本誌を読んだあとも、この別冊付録でさらにたっぷりとマンガの「お代わり」ができた。この別冊付録が中に挟まって、まるでフグみたいに膨らんだ本誌が、輪ゴムで締めててありました。
これが、枕元にあると、もう病気も何もすっとんだのでした。きっと、薬を飲むのと同じような効き目があったのだとおもいます。
ところが、マンガ週刊誌が登場することで、月刊マンガ誌自体がどんどんとなくなっていって、わたしたちの生きる希望が無くなってしまったことを、今も悲しく思いだします。
現代マンガの大発展期に生れた別冊付録は、今はもう過去のモノかもしれませんが、子ども文化の記念すべき宝物として光り輝いています。
それがどんなもので、どんな内容だったのか、「大マンガラクタ館」で実際の姿を展示することにしました。昭和30年代の「貧しいけれど幸せでもあった」気分を、この展示でどうか想像してみてくださいね。

(イラスト:鈴木素美)